ちゃんとした感じにしたい

文章ちゃんと書けるようになりたい

万年筆

 きちんとした万年筆を、私は持っていない。母や父は、中学生になったときのお祝いとしてもらったといっていたがわたしにはそのようなお祝いはなかった。中学生が万年筆を使う気かいなんてほとんどなかっただろうから、もらえなかったのは時代の変容というよりも、実用指向へのシフトが原因かもしれない。少し残念に思うこともあったが、ふとした時に自分の万年筆へのあこがれが羽ペンへのあこがれとすり替わっていることに気づいた。ハリーポッターやほかの映画に出てくる羽ペンは、ほかのペンとはやっぱり違う魅力がある。インク壺につける、インクを羽ペンが吸う、音をたてながら文字がかかれる、紙はひたすらインクを吸う、インクがかすれる、またインク壺へ。この一連の動作に、なんだかお上品さを感じたりする。でもいいと思うものと自分に合うものは、一致しないという話。羽ペンと私の生活なんて交わるはずがないのだ。これからも含めて。

 適当にお題を決めて書くことにしてみたが、これは面白いんだか面白くないんだか自分でもよくわからない。ランダムでなくお題を決めると、自分の話ばかりしてしまいそうになるけど、書きたいことって自分の書きたいことっていうフィルター無くしてはやはりかけないんではないかという気もしているわけで。なんで770字なんだとか自分でも思っているわけだけど、文章を書くということに関してのなぜか感じ始めたコンプレックスを振り払いたいからまあ頑張って書こうと思ったりもする。幼稚園、小が学校、中学校と書いてきた日記の文章は我ながら面白かったのだから、そういうのを取り戻したいと思ったりもするのです。戻ってくるのかなあいつは。そろそろ戻ってきてほしい。何度でも思い返せるような文章を私は書きたいので、まあ嫌になる日も何かの練習だと思って頑張って書いていきます。英語学びてえ。